19世紀頃から始まったハワイの産業発展は、白人勢力の影響を色濃く受けたものでした。1820年頃、キリスト教の布教のためアメリカから宣教師団が来島。その頃、これまで島民に厳しく強いられてきた生活全般に関する戒律「カプ」が廃止され、階級制度や伝統宗教へのゆらぎと相まってキリスト教が広がりました。こうして宣教師達が政治や経済に影響力を持つと同時に西洋化が急速に進み、ハワイ古来の文化が衰退していくことになります。 産業においては砂糖きびのプランテーション時代を迎えます。外国人に土地の所有権が認められ、白人移住者が次々と不動産を購入。プランテーション事業が一気に拡大しました。1900年代に入るとパイナップル・プランテーション時代へと移り、ジェームス・ドール氏が経営する「ハワイアン・パイナップル社(現ドール・フード・カンパニー)」が台頭に。1940年頃にはハワイでの生産量が世界の約8割を占めていたともいわれました。 このハワイの基幹産業となったプランテーション事業を支えたのが中国や日本、ポルトガルなどからの移民でした。日本から初めて移民が受け入れられたのは1868年といわれています。1885年頃からは、明治政府との条約締結により約3万人が渡来し、彼らは厳しい労働条件のもと、ハワイでの生活を確立するため日々心血を注ぎました。 こうした各国の移民の歴史を学べる文化施設がオアフ島真珠湾の西側、ワイパフに位置する「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」。ここでは当時の労働者が暮らした住居などが復元されています。歴史に思いを巡らせながら訪れてみるのはいかがでしょうか。
ポリネシア人が移住してから何百年という間、外界から閉ざされていたハワイ。しかし、18世紀後半、イギリスの探検家キャプテン・ジェームズ・クックがハワイ諸島を発見することで、歴史が大きく動き始めました。彼はまずカウアイ島に寄港。ここから西洋人とハワイアンの交流がはじまりました。 西洋文化の流入はハワイに様々な恩恵をもたらすと同時に疫病や武器などが持ち込まれる結果となり、良くも悪くもハワイは新しい文明を受け入れることになったのです。この時期、ハワイでは絶えず争いが起きていましたが、1810年にハワイ島のカメハメハが全島を統一。ここにカメハメハ王朝が誕生します。ちなみに、ジェームズ・クックは後にハワイ島で島民と争いを起こし、命を落としました。
ハワイ王朝はその後、大王の子孫であるカメハメハ2〜5世からハワイ最後の王となったリリウオカラニ女王まで、歴代の王によって約80年続きました。 ホノルルでは今でも王朝ゆかりの建物や銅像など、歴史の名残りを感じさせる名所が多く残っています。中でも、カメハメハ大王のひ孫にあたるパウアヒ王女の死後、夫君ビショップ氏が追悼の意をもって創設したビショップ博物館は王室由縁の美術品などが多数展示され、ハワイの歴史を楽しく学ぶことができます。オアフ島に行った際はぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
日本から約6,190kmの場所に位置するハワイ諸島は、6つの主要な島と130近くの小さな島々で構成されています。数百万年前、海底の火山活動によって最初にカウアイ島が現れ、順に南方の島々が誕生しました。最も若い島は、現在も噴火が続くキラウエア火山を擁するハワイ島です。 ハワイ諸島に人間が住むようになったのは、島が誕生してから何百万年も後のこと。最初にハワイに定住したのが、約3,500km離れたマルケサス諸島からやって来たポリネシア人と言われています。1100年頃にはタヒチからも多くの人々がハワイへ移住しました。海図や近代的な航海計器が存在しなかった当時、彼らは星の位置や波、風の動きを手がかりに自分たちの現在地と進路を導き出していました。この古代式伝統航海術は「スターナビゲーション」と称され、ポリネシア人が遠洋航海で広大なエリアを開拓する時代には必要不可欠な航海術とされていました。 しかし、18世紀後半に西洋文化の波が押し寄せると、ハワイ古来の文化と共にカヌーによる航海が衰退し、スターナビゲーションも自然と消滅してしまいます。 ところが1970年代に入ると、失われたポリネシア文化を見直し、ハワイ人の誇りを取り戻そうという運動が高まります。1975年にはこの流れの一環で、古代航海術であるスターナビゲーションの理論を学術的にも立証しようと、古代の形状を模した航海カヌー『ホクレア号』が再現されました。ハワイ語で「幸せの星」の意味を持つホクレア号は1976年の初航海から今にいたるまで、スターナビゲーションにより針路を決め、なんと地球4周分の距離を旅してきました。